自殺の問題は深刻です。
しかし、人間の根底には、「どうせ死ぬのに、なぜ今、死んだらいけないのだろう」
という根本的な問題を抱えているものです。
「どうせ死ぬのに」
大変、重い言葉です。
そして多くの人がこの解答を持たないのです。
どれだけ一生懸命話をされても、どうもしっくりこないのです。
実はこの問題は、多生の命を持った生命、
多生の目的があることが明らかにされないと、答えにならないものなのです。
結局、50年乃至100年の肉体だけを問題にしたら、
「どうせ死ぬのに」
となってしまうでしょう。
稼いだお金も置いていかねばなりませんし、
すべての人とも結局別れていかねばなりませんから。
しかし生まれ変わり死に変わりする命を持ち、
人間に生まれた今でしか果たせない使命があることを知れば、
そこに初めて命の意味が見出せるのです。
これは仏教にのみ教えられていることなのですね。
親鸞会という浄土真宗の集まりではそのことが丁寧に話されていますので、
親鸞会の勉強会や講演会があれば、一度、足を運ばれることをお勧めします。
自殺したらどうなるか?
死んだ後はなくなるとか、リセットできてやり直せるなど考えている人が多くあります。
しかし、その根拠はどこにもないですね。
原因と結果の関係を考えていきますと、死後がないとおかしなことになります。
つまり、この世で蒔いたタネを、この世ですべて刈り取ることができないからです。
例えば、2人の人を殺して死刑になるとすれば
10人殺した人は、5回死刑を受けねばなりません。
しかし、現実には不可能ですね。
ならば、残りの4回分は、死後に報いを受けねばならないことになります。
そうでなかったら、2人以上なら何人殺しても同じ結果しか受けないことになってしまいます。
原因が違えば、結果も異なるというのが因果の道理
2人、殺した人と、何百万人殺したひとと、同じ報いなわかがないのです。
親鸞会で、丁寧に話がなされていました。
仏教では、どんな結果にも必ず原因がある、原因があれば必ず結果を生じる、という因果の道理が教えられています。
このことを突き詰めていきますと、因果の道理は必ず三世を貫きます。
それは前回お話ししたとおりです。
つまり、未来世(後生)がないと理屈がとおらないのです。
自殺しようとする人は、
死んでなにもかもちゃらにしたい
リセットしたい
はじめからなかったことにしたい
と思うことが多いといわれますが、死んで何もかもなくなるわけではありませんし、
死んで、最初からやりなおし、ともいかないようです。
ですから、安易に、ちゃらにする、という考えは捨てたほうがいいと思います。
この三世因果については、親鸞会という仏教を伝える団体から聞くことができます。
目の前のことで一喜一憂しがちな私たちだからこそ、三世という大きなスケールから
自分を見つめなおしてはどうでしょうか?
自殺したらどうなるのか?
仏教では三世因果が教えられ、死んだあとは、あると説かれています。
原因があれば必ず結果が生じる。
原因なしに起きる結果は万に一つ、億に一つないと仏教では教えられます。
私たちでいえば、原因は行為です。
しかし、やった行いが、この世ですべて返ってくるとは限りません。
例えば、人殺しを1人した人と、10人した人と、100人した人と、受ける結果は同じ1回の死刑です。
なにを当たり前のことをと言われるかもしれませんが、蒔いた種が違うのに、結果が同じとはおかしなことです。
もし、これで問題ないと言われる人があれば、それは、1日働いても、10日働いても、100日働いても、給料は同じ1万円で問題ない、という人です。
そんなことはありえないですよね。
では、先ほどの殺人でいえば、その結果はどうなるのか?
この世で受けれない結果は、死んだあとに受けていくことになります。
死後があるなんて非科学的と思われる方もあるかも知れませんが、科学の基礎中の基礎、結果には必ず原因がある。原因があれば必ず結果を生じる、ということを突き詰めていくと、かならず因果関係は三世を貫くことになります。
次回に続きます。
自殺したらどうなるのか?仏教では三世因果が教えられ、死んだあとは、あると説かれています。
「過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」
と説かれおり、過去どういうことをしていたかを知りたければ、現在、受けている結果をみなさい、
そうすれば、過去の種まきが分かりますよ。
未来の運命を知りたければ、現在の種まきをみなさい。現在の種まきを見れば、
将来の結果が見えてきますよ、といわれています。
親鸞会の一日一訓カレンダーにも
「現在は過去と未来を解くカギである」
と教えられています。
自殺したらどうなるのか?第一段階として、死んだあとはあるのかないのか、が問題となり、
もしあるとすれば、どういう世界なのか、という段階に進みます。
私はこう思う、ああ思うといっても水掛け論ですので、たとえば世界の四大聖人の一人、
お釈迦様はそう教えているのか、学んでいきたいと思います。
親鸞会で学んでいる人から、丁寧に教えてもらいました。
以前にも書いていましたが、この世の結果には必ず原因がある、というのが因果の道理です。
もちろん、私が生まれた、とうのも結果です。
結果の中でもとても重要で大きな結果の一つですよね。
いつ生まれるか、どこに生まれるか、どの親のもとに生まれるか、によって人生は大きく変わるからです。
その結果には必ず原因があります。生まれた結果ですから、原因は生まれる前にあることになります。
なぜなら、原因は必ず結果より前にあるからです。
このことについてしばらく書いていきたいと思います。
仏教では因果の道理は、三世を貫くと教えられています。
三世とは過去世、現在世、未来世、のことです。
生まれる前を過去世、生まれてから死ぬまでを現在世、死んだあとを未来世といわれます。
因果の道理は、生まれたから死ぬまでだけのことではありません。
生まれる前から、死んだあとも、三世を貫いているのが因果の道理です。
自殺したらどうなるのか?
そもそも死んだあとはあるのかないのか、が問題ですが、
仏教では因果の道理は、三世を貫くと教えられています。
三世とは過去世、現在世、未来世、のことです。
生まれる前を過去世、生まれてから死ぬまでを現在世、死んだあとを未来世といわれます。
因果の道理は、生まれたから死ぬまでだけのことではありません。
生まれる前から、死んだあとも、三世を貫いているのが因果の道理です。
自殺したらどうなるのでしょうか?
仏教では、因果の道理が教えられており、
結果には必ず原因があるといわれます。
ダイコンの種を蒔けばダイコンが生えてくるように
スイカの種を蒔けば、スイカが生えてくるように、
蒔いた種に応じた結果が必ず生えてきます。
同じように、善い種を蒔けば善い結果が返ってきますが、
悪い種を蒔けば、悪い結果が返ってきます。
このことについて、少しずつ話をしていきたいと思います。
自殺したらどうなるか?
自殺に限らず死んだらどうなるのでしょう。
これは多数決はあてにならないでしょう。
非常に深い問題なので、専門家に耳を傾けねばなりませんね。
「死んだら、無になる」
「死んだら、楽になる」
「死んだら、1からやりなおせる」
という考えは、あくまで「そう思う」だけであって、しっかりとした根拠は見つかりません。
上記のような安易な気持ちで死を求めるのは、どうなのでしょう。
いじめの根っこは、人を尊べないところにあると親鸞会という浄土真宗の集まりで学びました。
何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか、
なぜ苦しくても生きていかねばならないのか、
これが人生の目的です。
人生の目的と趣味生きがいは根本から違うようです。
趣味生きがいは、ひとそれぞれ違うものですが、
人生の目的は万人に共通したもののようです。
なので、お釈迦様は、
天上天下唯我独尊
といわれ、大宇宙で、ただ我々人間だけが【たった独つの】尊い使命を持っている、と教えられたのでした。